多古町中村地区出身の萩原さんは、海外留学、空港勤務、精神的に苦しい時期、そして再起を経て、現在はラーメン店「綾海105」を営んでいます。 その一杯には、努力と優しさ、そして地元への想いが詰まっています。 「食べた人がちょっと元気になってくれたらいい」そう語る店主 萩原さんのラーメン店への思いを伺いました。
多古町のご出身なんですね。
高校までは町内周辺で進学していました。学生時代にこれと言って将来やりたいことはなかったですが、当時は海に夢中で、サーフィンばかりしていましたね。
サーフィン仲間からの誘いでオーストラリアへ。
当時は軽い気持ちで行ったんですが、英語にはもともと興味があり、親からの後押しもあり語学学校にも通いました。半年間の滞在で、生活の中で自然と英語を覚えました。現地の人の明るさや自由な雰囲気に影響を受けましたね。
帰国後はどのような仕事に?
不法入国などで収容される外国人の対応をする仕事です。厳しい現場でしたが、中国・フィリピン・アメリカなど、いろんな国の人と接する機会がありました。言葉だけでなく、「文化の違い」を肌で感じる貴重な経験だったと今は思います。
その後、飲食の世界へはどういうきっかけで?
サーフィンをしていたので体をずっと鍛えていたこともあり、当時はほとんどラーメンを食べていなかったのですが、居酒屋のバイトで後輩に「富里に新しいラーメン屋ができた」と紹介されて、面接を受けて入ったのが、全国でも有名な鶏白湯煮干しラーメンの店でした。入ってみたらとても厳しい現場でしたが、1年くらいでお店を回せるようになり最終的には店長まで任されました。 そこからは、地方などに渡航し色々なラーメンを食べてラーメンの味をインプットしていきました。
修行を重ねる中で、挫折もあったそうですね。
。心身ともに疲れて、うつ状態になり、半年くらい家から出られない時期もありました。 でも、そんなときに救ってくれたのが“海”でした。怪我のリハビリもかねて海に入ると、不思議と心が落ち着いて、「もう一度やり直そう」と思えるようになりました。
再び飲食業へ戻ったきっかけは?
でも、いざ自分の店を持ちたいと思ったとき、「イタリアンよりラーメンの方が自分らしい」と感じたんです。自分の味を表現したい。そう思ってラーメン屋を開店することにしました。
そして、ラーメン屋をオープンしたわけですね。
ラーメンづくりのこだわりを教えてください。
年間150杯以上は他店のラーメンを食べ歩いて、気になる味をインプットし、試作品を常連さんに食べてもらって、「これ、うまい!」と言ってもらえたら商品化します。席数は10席ほどしかないので、常連さんとはほとんど顔なじみです。昼は現場仕事の方やサラリーマン、学生の親御さんも多いです。たまに、小さいお子さんを連れてご来店される方もいらっしゃいます。
現在の課題と、これからの目標を教えてください。